"国家"と"市場経済"の関係

橘川雄一|2017.2
私は常識として、"国家"間のmoneyの動きを"(国際)市場経済"と言うと理解していた。
ところが、成長のルールをめぐる"国家"と"市場経済"の攻防という視点から見ると、現在の"企業群"は国境という"国家"の壁を超えての企業活動から国家よりもはるかに巨大なmoney を動かし、力(ちから)として"国家"を超えていると言うことを知ってしまった。
これまで"市場経済"を統御してきた"国家"が力を失い、"国家"が資本主義をコントロールできなくなっている事実があるということを である。
事実として、ある南米国家は欧米の巨大企業の進出を受ける事で"成長"を狙ったが、逆に税収や失業率が悪化し国家破綻の危機にさらされている。
経済が低迷する南太平洋の島国では、経済規制をゼロにすることで投資を呼び込む「国内国家」の検討を始めている。背景にあるのは“国家のルールは少ない方が競争を促し成長できる”と考える「新自由主義」の広がりがある。今や北欧の福祉国家さえも社会保障の財源のため「新自由主義」の導入を検討し始めた。
そして「法律や規制はいっさい要らない」と国家不要論を主張するグループまで現れ、世界の国々と自治区設立を目指し、交渉を始めている。経済が行き詰まるなか、国のルールや規制を大きく変えてまで成長を求める"資本主義"は私たちに何をもたらすのか。
この貪欲さについていけない人の群を"没落中産階級"と言い、さらに 別名"格差社会"と言う。世界の富豪9人の総資産と下層31億人の総資産額が同額と言う。
塩野七生の本(「ギリシャ人の物語」「ローマ人の物語」)読む限り、BC5C頃のギリシャ社会 第1層に属する家族、AD1C前後のローマ帝国皇帝が持つ資産は "国家財政規模並み"だったと記されている。きっといつの時代も人間が持つ力の"差"って巨大なのだろう、"平等"なんて幻想なのかもしれないという諦観を感ずる。