何を捨て何を守るか

橘川雄一|2024.3
1980年代の話。
コルビュジエが"日本建築"を評して「線が多すぎる」との指摘があったと槇文彦氏が雑誌に書いた。わたしはちょうど国立国会図書館新館を設計中、外壁のデザインを考えていた。外壁の目地を横方向に深くして横線を強調するデザインを検討した。
PCの縦割り寸法、13段/階に割ろうとした。線の入り方が綺麗だと判断した。4100mmの階高なので約@310mmになる。ただ前川事務所の重鎮が「忙(せわ)しない! 10段でいいのではないか」という。ここで抵抗してすべてを失うより応じた方が賢明と思った。
更に地下に収まる700万冊の蔵書を視覚化(来館者に見せようと)しようとし、地下階に8層の吹抜けを設けようとした。これには反対意見が多かった。「国家の宝(納本による国内出版物全ての『本』)に爆弾を落とす輩がいたらどうするんだ。」という真っ当な意見を出された。コレは抵抗が出来ない。ただ地下階への吹抜けの魅力は表現として使いたく、オフィス側で吹抜けを実現した。
私は前川事務所のスタッフ、前川國男ではない。「何を守り何を捨てるか」という事はいつも思っていた。
何も"捨てる"ことのない前川國男の話し。
1960年"京都会館"のコンペの時、提出1週間前に突然「今までの案は何かおかしい。考え直したい(前川國男)」と。スタッフは血の気が引いたそうだ。ただ前川國男の決断は「絶対!」本当に1週間でコンペ案を仕上げた。そして“勝った!”。いまの京都会館である。築64年。先年香山壽夫氏で大改修がされているが、その生命力は立派に果たしている。前川國男の桁違いの知性、精神力の話は多く、これからも語っていきたい。